Brand story

~時代を読む先見性と
未知なる世界への挑戦~

Mikami Takashi

プロローグ

2003年、日本で2番目に小さい街、東京都狛江市において、三上孝は40歳で特殊機材撮影の会社「有限会社ロケット」を創業する(3年後、株式会社に)。資本金90万円、自宅の二階をオフィスにし、妻とたった二人でのスタート、その時は、まさか自分の会社が国際中継に携われるとは思ってもみなかっただろう。三上が特殊機材撮影の世界に入ったのは、それからさらに遡ること20年。既に映像の仕事に携わっていたが、当時の特機業界の第一人者に誘われ特殊撮影の世界へ。

その後、フリーの特機オペレーターとして8年、特機会社の役員を2年務める。その間、国交正常化北京GLAY大会や長野オリンピック(スーパー大回転、ジャンプのラージヒル担当)などの大舞台を成功させた。その類いまれな映像センスと、被写体であるアーチストやアスリートの情熱と躍動感を引き出す「怒涛のクレーンワーク」。中でも、複雑なダンスフォーメーションを撮るのに高度な技術が要ると言われる「音楽モノ」の撮影において、「困った時の三上頼み」とプロデューサーやカメラマンに絶大な信頼を得るようになった。

特機の地位向上のために

巨大な映画市場を持つハリウッドやヨーロッパにおいて、特機(特殊機材撮影)の技術者は、年収数億円、アカデミー賞の技術部門賞に選ばれたりする技術者もいるほど地位が高い。しかしながら、国内には技術習得のための機関(専門学校や大学の学科など)がないため、教育や育成のシステムが確立されておらず、技術や知識は、実際に現場で働きながら覚えるしかなかった。

つまり、日本の放送水準は、欧米に比べまだまだ発展途上にあり、アジアの放送レベル向上ためにまずは、国内の特機業界を盛り上げ、同時に日本の技術者がどんどん世界に挑戦するべきだと三上は考えた。その思いは、三上がフリーになって活躍している時からも強く胸に刻まれることとなり、「特機の地位向上」のために、2003年に有限会社ロケットを設立する。

LOVE & PEACE

チャリティーLIVE
2011年3月11日、未曽有の大震災が東北地方を直撃、国内のイベントや音楽ライブが全て中止、ロケットは「倒産」の危機に見舞われた。

それから半年後、被災地宮城でのチャリティーLIVEの仕事が舞い込んだ。ところどころ瓦礫の山…震災の深い傷跡がまだ生々しく残る景色を横目に、復旧ままならない東北道のでこぼこ道を三上以下、スタッフ7名は機材を積んだトラックを走らせ目的地に向かった。そこには、会場を埋め尽くす人、人、人…たった一人のアーチストの歌声が会場中の人の声と重なり合って、大きなうねりとなっていく。音楽が傷ついた人の心を、どれだけ勇気づけ癒してくれるのか、生きる力を与えてくれるのか、その計り知れない「命の力」を目の当たりにした三上は、何としてでも会社を立て直し、映像を通して日本中の人に希望を届けたいと思った。加えて、サッカーのチャリティーマッチでは、対戦国も一緒になって日本の為に祈りを捧げるシーンに中継スタッフとして立ち会い、音楽と同様、スポーツも国境を超え、人に生きる力を与えることを実感し、社是を「LOVE&PEACE(愛と平和)」とすることとした。 それはまた、彼自身が仕事で海外を訪れた際、現地のストリートチルドレンの惨状を目の当たりにした経験も大いに影響している。

日本人としてのアイデンティティ

国内における特殊機材の95%が外国製品であったため、ジャパンメイドの製品を世界に発信するため三上は「製品開発」に乗り出した。しかし、アイディアを様々な製造業社に持ち込んでみたものの、「前例がない」と門前払いに。結局、試作品の完成までに2年を要した。それからさらに3年、構想から製造まで5年をかけた日本製防振器機「スプリングスタビライザマウント」を引っさげ、単身ラスヴェガスの展示会に乗り込み(平成2004年より6年連続NAB出展)、2011年には国内での特許を取得することに成功、その後スタビライザマウントは「国境なき製品(取り扱い説明書がいらない)」と称され、世界中で1000台あまりの売り上げを記録した。

PUSHING FRONTIERS

2013年には、4点吊りケーブルカメラシステム「Robycam」を、当時、アジアで初めて導入、その後、国内有名アーチストのライブやサッカーワールドカップ男子予選などのスポーツ国際中継で使用された。そのような希少性のある機材を導入した理由の一つは「人財の育成」というミッションを果たすため、「LOVE&PEACE」と並んで、ロケットが掲げる「PUSHING FRONTEIERS(広大な白い砂浜に自らの足跡を付けていく)」の精神を若いスタッフに体現してもらうおうというもの。前例のないことにCHALLENGEする、つまり、失敗を恐れず突き進んで行くことこそが、キャリアアップにつながる…それを言葉ではなくて、仕事を通しての「気づき」としてスタッフに伝えたかったのである。スタッフは、製造元による「研修」を受けての現場デビュー、その後、実際の現場での経験を積み重ねていくという、まさに、未開の地を自分の足跡を自分で付けて行く作業が続く。苦しくても信念を持って前に進むことが、撮影人としての成長を促し、本物の実力をつけることになるのだと三上は信じて疑わなかった。

TEAM! 2020年東京五輪に向けて

平均年齢27歳、社員20人余りの小さな会社が、世界最先端のハイテク機材を導入して国際中継を担当することができたのは、三上自身の天才的なマーケティング能力と技術力もさることながら、若いスタッフの「チーム」としての成長によるところが大きい。

また、ロケットは、時代に応援される会社である。これまでも「ピンチ」の時に、時代の風が吹き、その流れに乗って、ステージアップしてきた。その最たるものが、来る2020年東京オリンピック開催決定である。この天下の大舞台に向けての「世界一のチーム作り」に着手、2016年「社団法人Robycam Japan」を設立、チームの土台作りとなる「人材育成事業」に乗り出す。

それは同時に、国内では前例がない「特機の学校」を作るための布石となる。オンリーワンでナンバーワンになるため、三上を筆頭にスタッフ全員が、道なき道を歩いて行く強い意志と、どんな状況も楽しもうとする冒険心を胸に、チーム一丸となって、新たな一歩を踏み出そうとしている。そして、明日の日本をアジアの撮影業界を担う若者がその門を叩いてくれるのを、今か今かと待っているのである。

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